「80歳でフルマラソンをサブ4で走る」──
これは多くの人が「不可能」と思うかもしれません。
しかし、バナナぴろしさんは元サブエガ(2時間50分切り)を達成した市民ランナー。
いま再び、年齢という壁に挑み、ゴールテープを切るその瞬間を目指して走り続けています。
記録や順位ではなく、挑戦そのものが生き方を更新していく──そんな物語です。
りんごちゃん
なんだか聞いただけで胸が熱くなるね。
だって普通なら「もう走れない年齢だ」って思うでしょ?
バナナぴろし
「年齢はただの数字」って本気で信じているんだ。
その信念が、毎日の練習や生活を動かすエンジンになるんだよ。
りんごちゃん
「もう無理」って諦めそうになる時こそ、そういう言葉に救われるんだろうなぁ。
走ることって、ただの運動じゃなくて生き方そのものなんだね。
バナナぴろし
その積み重ねが、自分の誇りや生きる意味になっていくんだ。
ゴールテープを切る瞬間は、人生の新しい章が始まる合図みたいなものだよ。
りんごちゃん
80歳でサブ4を目指す理由を…
ぜったい知りたくなっちゃった!
なぜ80歳で“サブ4”を目指すのか?──高齢ランナーのマラソン挑戦と原動力
年齢に抗う背中が語る、“走る意味”と走力維持の秘訣
80歳でフルマラソンをサブ4──この言葉に、多くの人が首をかしげるかもしれない。
「その年齢で4時間切りなんて現実的じゃない」──そう思うのも無理はない。
しかし、バナナぴろしにとって、それは夢物語ではなく“人生の次章”なのだ。
若き日は、サブエガ(2時間50分切り)達成の市民ランナー。
記録とスピードを追い求めた日々を経て、今向き合っているのは年齢という重力だ。
VO2maxの低下、筋力の減退、回復力の鈍化──加齢による走力低下は避けられない。
それでも彼は、週数回のLSDやインターバル走、ストレングストレーニングを継続。
食事や睡眠も含めた全生活の最適化に取り組んでいる。
目標は単なるサブ4ではない。
「どこまで速く」ではなく、「どこまで挑み続けられるか」を証明する旅路だ。
記録よりも、人生の深みを刻む挑戦の構造こそが重要なのだ。
年齢はただの数字──よく聞く言葉だが、実行で示せる人は多くない。
バナナぴろしは、その希少な一人である。
今日走れることに感謝し、明日も挑めることを信じる。
80歳でサブ4というゴールは、数字以上に
「生き方そのものを更新するためのコンパス」となっている。
なぜ走り続けるのか──高齢ランナーが語るマラソン継続の理由と人生の本質
「不可能」に見える挑戦ほど、生きる意味がある
「成し遂げるまでは、いつも“不可能”に見える」──
この言葉を遺したのは、南アフリカの指導者ネルソン・マンデラ。
80歳でサブ4を目指す挑戦にも、この精神が色濃く宿っている。
マラソンを続けていれば、誰もが必ず壁にぶつかる。
体力の低下、記録の伸び悩み、怪我、そして何よりも年齢という現実。
多くの人は、それを“終わりのサイン”と受け取ってしまう。
しかし、バナナぴろしは違う。
壁を「終わり」ではなく、「もう一段上がるためのステップ」と捉えている。
彼にとってのランニングとは、単なる記録の競争ではない。
自分を律し、過去と未来をつなぐ生き方の延長線だ。
サブ4という目標を掲げた。
「限界」を感じるたびに、それを超える手段を考える──。
この積み重ねが、高齢ランナーとしての走力維持だけでなく、人生の質そのものを引き上げている。
若さに頼らない達成欲、経験に裏打ちされた自信、そして挑み続ける誇り。
これこそが、彼の走りを支える最大のエネルギーだ。
「われ思う、ゆえにわれ走る」──行動で生を証明する哲学は、
思考だけで終わらない“動の哲学”として、彼の中に息づいている。
退屈と戦う──高齢ランナーが語るマラソン継続とモチベーション維持の秘訣
目標がある人生は、退屈を寄せつけない
哲学者バートランド・ラッセルは、著書『幸福論』でこう述べている。
「人間の不幸の多くは“退屈”から始まる」と。
年齢を重ねるほど、日常はルーティン化し、刺激は減っていく。
それは一見安定しているようで、実は退屈という名の“不幸”に浸食されている状態かもしれない。
バナナぴろしは、そこに抗うように走り続けている。
「80歳でサブ4」という目標は、ただの挑戦ではなく、
高齢ランナーとして走力を維持し続けるための戦略でもある。
漫画『狂四郎2030』の中で、あるキャラがこう語る。
「狂四郎2030 不幸の始まりは何だと思う? 退屈さ」
退屈を避けるには、敵が必要
若いころの“敵”は記録や他人だった。
いまの“敵”は、体力の低下、習慣のマンネリ、そして退屈だ。
敵がいるからこそ、目標が生まれる。
目標があるから、朝が待ち遠しくなる。
走る意味は「過去への執着」から「未来への投資」へと変わっていく。
バナナぴろしの走りは、単なる記録更新のためではない。
退屈と戦い、人生を豊かに保つための“生活戦略”だ。
人は、動かなくなった瞬間から衰えが始まる。
歳をとっても目標を持ち、挑戦し続けることで退屈という不幸から解放される。
だから今日も走る。
敵がいる限り、人生は前に進めるからだ。
まとめ──乗り越えた壁は、未来の自分を守る盾になる
苦しい練習がくれた、本当の強さ
真夏のロング走で、吐きそうになりながら踏ん張った日。
脚が鉛のように重くても、最後まで走り切ったインターバル。
雨と風の中、ただ一人、目標タイムを信じて走り続けた朝──。
そうやって積み上げた先に、サブ3.5、サブスリー、そしてサブエガというゴールテープが待っていた。
その瞬間、確かに一つの壁を乗り越えたのだ。
そして気づく。
あの日の苦しみは、記録を残すためだけのものじゃない。
それは、未来の自分を守る盾を鍛える時間だったのだ。
ランニングでも人生でも、また新しい壁は必ず現れる。
走れない日、思うように結果が出ない時、年齢や環境の変化に押しつぶされそうな瞬間。
そんなとき、過去に積み上げた練習と達成の記憶が、あなたを支えてくれる。
思い出してください。
あの練習を、あの苦しさを、そしてあの達成の瞬間を。
あなたはもう、壁を越えられる人間です。
あの苦しい日々を越えられたのなら、今回もきっと越えられる。
乗り越えた壁は、いつか必ずあなたを守る盾になる。
その盾を作れるのは、今の挑戦だけだ。
りんごちゃん
そして何かに挑戦している人、みんなのこと…
心から応援したいなぁ!
だって、その一歩一歩が本当にかっこいいんだもん!
バナナぴろし
速さや記録じゃなくて、ゴールを信じて走り続ける姿は本当に美しい。
読んでくれているあなたも、誰かの挑戦を応援することで、
きっと自分の心にも前へ進む力が宿るはずだよ。
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